自由と自分

 人間は自由という刑に服している。

 自由というのは、選択であり行動である。選択は後悔を伴い行動は能動的であることを求める。職業選択の自由は必ず評価される苦痛を伴い、居住の自由は過疎とコミュニティの崩壊を伴う。恋愛の自由はモテる奴モテない奴を生む。
 自由は全てにおいて強者と弱者を生む。自由は成功と失敗を生む。
 しかし、人間は自由な存在であろう。どんなに不自由なときでもわずかな隙間から自由を求め、勝ち取ってきた。支配者から、国から、親から、他人から、宗教から。現在進行形のものもあるが、今後さらに勝ち取っていくだろう。そしてさらに個人主義になっていく。

 そういう、本能を持った生き物に自分は含まれていると自覚し生きていけば、少しは楽に生きられるのかな?例えば自分達にはどんな状態でも切り開いて生きて行く力があると信じるとか。
 結局、強者も弱者も、成功も失敗も、自分と誰かをクラベルことからきているものだろう。比べ競べたがることは強者と成功にとっては楽しく、弱者と失敗には苦しいものであろう。せめて弱者と失敗はクラベルことから自由になるべきで、自分もそうなりたいと思っている。思っているけどなかなかできない苦しい人生。
 人間は自由という刑に服している。