恋愛なんてクソですから。

 恋愛なんて糞です。それは、肉体的には発情です精神的には依存です。
 そんな嘘を最高のもののように扱う現在。恋愛なんていいもんじゃない有閑階級の暇潰しだよ。そんなものに憧れて、夢を見て、馬鹿みたい。
 人生で大切なのは、他人の為になにができるか。弱いものの為にどう戦うか。つまり恋愛じゃなくて愛である。sexしたくなる、子どもを作りたくなる、恋愛じゃなくて恋である。
 恋愛のために誰かを犠牲にするなら、そんなものいらない。
 寂しさを埋めるための依存を恋愛と呼ぶのなら、そんなものいらない。

 大人は子どもを守るものです。それができないのは子どもだからです。大人のふりをした子どもが恋愛の夢を見ています。それは自分本意のエゴです。弱いものを守れないのは自分が弱いからです。


 虐待のニュースを酔っぱらいが見るとこうなります。娘たちを抱き締めながらこんなことを書いてます。娘たちは振りほどきます。臭いから。                                         

独身者に怒られた

 会社で独身のおじさんに「卒論出す前にあなたは願書出して入試受けなきゃね。」っていったらうけた。もう大笑い。そんで×1のお姉さまに、「大学院の修士課程すすまないの?」とは、言えなかった。笑いはとれたかもしれないけど、下手したら俺が会社に卒論ださなきゃいけないことになる。
 うちの家庭は大丈夫です。休学中だから。

島田紳助司会者が教えてくれたこと

 ひょうきん世代の私は、島田紳助さんに対して好嫌入り雑じった一視聴者だ。でも、それとは別に教わったことがある。
 好き嫌いはともかくいっぱい番組に出ていた司会者。嫌いな理由もそのコントロール力の高さであった有能な司会者。そんな司会者が突然テレビから消えた。
 でも、1秒もテレビは砂嵐にならなかった。他の人が代わりをやっていた。そして今は当たり前のように伸介はいない。

 どんなに才能があってどんなに人気があっても代わりはいくらでもいる。需要があれば新しい司会者が産まれる。どんな仕事もそうだろう。伸介ですらそうだったんだから。だから俺は仕事に過信するのをやめた。責任感で頑張りすぎるのもやめた。俺の代わりは誰でもできるしいくらでもいる。頑張ったってたかが仕事のことでしょ。社会に貢献しているんじゃなくて、社会にいさせてもらっている。
 そして、俺の代わりのいない、個人としての人生を頑張る。俺はそう感じちゃった。
 あとは、東京の市外局番を教わったかな。

ピンクのハート

 4歳の娘と二人でお散歩していて、点字ブロックとか音の出る信号を見つけた。いっぱい会話をして、目が見えない人もいることとそういう人も楽しく暮らせるためにみんなで優しいピンクのハートをあふれさせなきゃいけないってことを言ってくれた。
 「いろんな人がいるし、いろんな人がいていい」ってことをわかって欲しい。この娘も膵臓が悪いからこそ優しい子になってほしいし、社会は優しいものだと知って欲しい。障害がある人がいてもいいし病気がある人もいてもいい。みんな楽しく生きていいし、みんなできるだけ幸せになるべきだし、けっこう社会も人も優しいよって…。
 いろんな人がいていいってことをわかってくれない人は…俺は嫌いだ。娘の言葉でいうならハートが砕けて飛んでいったゃってると思う。
 俺も優しいピンクのハートを持ちたいなって思った正月の散歩でした。あっ、俺が好きなのはブルーハーツか。

うちの奥さん

 うちの奥様は面白い人だ。4歳になったばかりの娘と本気で言い合ってる。そうかと思ったら1歳のほうとも喧嘩してた。しゃべれない人とどうやって口喧嘩してんだろ?。
 主婦の欲しい家電は食洗機っていうテレビを観て「そうかなー、全然ほしくないけどなー」って、うちでは私が皿を洗ってますから。
 池上彰さんがテレビに出てると
「あっ、難しいこという人だ変えて。」って、一応やさしい解説が売りなんですけど。
 「自分の悪いところを悩むのやめた。」って言ってきたから、「いいんじゃないの悩んでも治らないことは悩んでもしょうがないよ。もっと別のことをしたほうがいいよ。」と媚びた。そしたら「そうだよね、もう自分のことしか考えないの治さない。他人のことを考えようとなんか思わないようにする。」って言ってた。俺は「うーーーん」としか言えなかったよ。

 縁あって出会って愛し合って結婚して子どもも授かって。腹が立つこともあるけれど、あなたがいてくれてとっても楽しい。大好きな娘たちを生んで育ててくれててとっても感謝してます。みんなが俺が生まれてきた意味を持たせてくれたよ、とっても幸せです。

 でも、また貴女のクレイジーなところを日記に書いてしまいますがね。

きついときに

 年末の忙しさに、余裕がなくなっちゃった。
 そんなときになんか、空の青さとかちょっとしたことに救われる瞬間がある。感動することでなにか変わるんだけど別に特別なものでなくてもいい。
 空や花や草や鳥、常にあるんだけど余裕がないときは目に入らない。耳に聞こえない匂いもしない。自分の内側の世界に入っているから。
 かといって自分の外側をみてばっかりいると自分が無くなっちゃう。
 素晴らしい外の世界とそれを感じられる内側の世界。そのバランスがね。難しい。でも35年も生きてると少しは、客観的に見られるようになったかな。そろそろ一息いれろって。若いときはうまくできないでつらかったから。

母と弟

 弟は草食系男子といってももう33だが。恋愛に縁がなく結婚もしないだろう。俺よりは顔もスタイルも収入も大学もいいのに。
 彼の人生は母親にコントロールされていてそこに立ち向かって対立してきた俺のある意味で犠牲者であると思う。俺の失敗を繰り返さないように育ったから。 俺はやりたくもない習い事を誘導されいやになってやめて、みたいな子どもだった。そして母親から飽きっぽい人間と言われていた。弟は根気強い人間だった。
 高校生になってバイトをするときに自分が決めたレストランは外食はまともな人がやってないとか、10時まで働くなとかうるさかった。弟は大学を卒業して就職するまでバイトはしなかった。
 高校を出るときも進学しろといわれて家を飛び出した。結局一年後に大学行ったけど。弟は迷わずに理系の大学に行った。
 彼女にうつつをぬかす俺を勉強もしないと言っていたらしい。
 就職したのも反対していたが、できの悪い息子は言うことは聞かなかった。結婚するときは応援してくれて、孫が産まれたら、俺は30年ぶりに自慢の息子になった。
 この対立を弟は30年観ていて双方の愚痴を聞いているから、母親の意見に従う子になった。あの二人がぶつかってるのを見たことない。
 今おもうと母親も高校を出て銀行に就職し同じ仕事を12年だけやって、子育てに入ったのだろう。ようは世間知らずのお嬢さんなんだ。それがあまり父親のサポートもなく切り開いてきた人生の結晶が二人の息子なんだろう。俺も弟もこのご時世にちゃんと働いて犯罪者になってない。上をみれば切りはないが卑屈になるほどの人生でもない。弟には結婚して子孫を残してほしいけれどもいやならしょうがないしそんな人生があってもいいと思う。
 多かれ少なかれ親はモンスターだ。それは愛だからだ。でも子どもは親の一部ではない、子どもは人間だ独立した人間だ。それでも愛されていることを疑ったことのない人生は幸福だと思う。だからやってこれたしこれからもやっていける。弟もそうだろう。
 でもお母さん。僕はあなたのような子育てはしませんよ。うまくいかないかもしれないけれど。