安保と中国と後藤象二郎

 今日も安保法制がニュースになってる。反対派賛成派、右左、いろいろな意見があっていいと思うけど。私は極右で極左だから、現在の議論は物足りない。

 極左としては、そもそも平和憲法とされるものを守るんなら自衛隊をなくしてアメリカからも距離をとるべきだ。それをするには他国を信頼するだけでなく、日本を攻めたらエライことになるぞと見せなければならない。まず国民が一人一人が武装して学校でもゲリラのやり方を教育するべだろう。機関銃か手榴弾か拳銃か刃物か竹槍か包丁か徒手空拳か、それは平時の治安とのそうだんだが、日本を攻めたら普通の国民がニコニコしながら一人一殺でやってくるぞと見せなきゃならない。その覚悟もなく平和憲法は守れない。

 極右としては、安保どころか憲法を改正して中国の脅威を理由にどんどん重武装化するべきだ。そんで気がついたらアメリカもびっくりするような軍事強国になっていればいい。
 司馬遼太郎の本で読んだんだと思うが、土佐の後藤象二郎李鴻章に「日本と中国で何回か戦争しながらお互い強くなってアジアを世界の中心にしよう」みたいなことを言ったと記憶している。記憶に自信はないが、私はこれが正しいと思う。中国が強くなるのに対抗することが、日本を高める唯一の方法であり現に高まってきてると思う。日本と中国は決して交わらずお互いを高めあうライバルでありつづけなければならない。
  
 明治維新の原動力は極論であったと思う。尊皇攘夷という極論と富国強兵という極論と、それをチョチョイと料理してできた大日本帝国。現代には、勝海舟坂本龍馬高杉晋作西郷隆盛大久保利通、みたいな料理人がいない前にそもそも材料である極論が足りない。まだまだこれまでどうりの日本が続くでしょう。良くも悪くも。今は私達がやることは子どもをなんとか育てながら、極論を料理する偉人が出てくるのを待つことでしょう。
 生活と次世代とみんなと元気と維新と、名前は素晴らしいけどね。どこに新しい偉人が隠れてるんでしょうか。隠れているように見えないのは極論が足りないんだろうな。